忍者

2011年5月5日木曜日

テレビで見たままでした。でも、全く違いました。

3月11日以降、連日放送されている風景が岩手にはありました。

��遠いところわざわざありがとうございます。東京も揺れ強かったんでしょ?停電平気でしたか?」と
つくなり、僕や東京を気遣ってくれる人たち。

日本中から集まっている、自衛隊やパトカー。

身近な人々が次々と帰らぬ人となった死が身近になってしまった生活。

線路がなくなったあとを道として歩く人。

役所にとどいている膨大な物資。

地元を支え続ける並々ならぬ「お役所仕事」。

数mの差で全く被害のない家々。

ご両親を津波にさらわれた兄弟が一見元気に遊ぶ姿。

瓦礫をどかすと咲いていたタンポポ。

��手伝います」と声をかけても
��他にも困ってる人いるからそっち行ってあげて」と一人で瓦礫を片付けるおじいちゃん。


ようやく訪れた桜の便り。




そして、あの、
荒涼とした街。。。

全てはテレビで見たものでした。
新しいものは何もない。
全てはテレビで見たものでした。

でも、
全く違うものでした。
完全に違うものでした。
空気感とかそんなものじゃなく、全く違う風景に見えました。


バスの中で僕の目に飛び込んできたあの街。
圧倒的なあの風景。
テレビで見たまま、でも全く違うあの風景。

通った道は多少の凸凹はあれど、ほぼ完璧に通れるようになっていました。
でも、そのすぐわきには道をあけるために寄せられた、生活が転がっていました。

くしゃくしゃになった車が、整然と並んでいます。

とんでもない量のがれきが、
とんでもない高さに積まれています。
そして、そのとんでもない量のがれきは全て生活、人生の破片。

その生活や人生が押し寄せてきました。

もちろん、そんなのわかっていました。
テレビや新聞、ネットのニュースで見ています。

考えれば当たり前。
でも、目の当たりにしました。

そして、その隙間を縫うように、新しい暮らしが、前向きに動いています。
再建への動きは少しづつ、でも確実に動いているように見えました。


僕には写真が撮れませんでした。

地元の変わり果てた姿を思い出として残したり、近しい人たちに報告するためでもなく、
報道を目的とし、広く日本中に今起きている現象を伝える責務を負っているわけでもない、
そんな僕に写真を撮る資格などなく、
僕が切るシャッターはなにかを汚すみたいな気がして。

ただ、見続けるだけでした。



そして、これを見た僕は何ができるだろう。
なにをしなければいけないんだろう。

暗くなった日本の、ほんの少しの人にでも楽しい時間をと思って、
番組を作ってて良かったのだろうか。

今回集めた物資が、本当に文房具でよかったのだろうか。




がれきの撤去をお手伝いに行きました。

全ては、もはやごみです。
セーターや靴、割れたコップに、子供のおもちゃ。
一つ一つに魂が宿っているようで、
それをどんどんかごに入れます。

だいぶ片付いた街。

被災地の皆さんは僕が想像をできないくらいのきもちで、
それらをごみとして扱わざるを得なかった。

地震、津波の恐怖が目の前にあった時期に、
そんな作業をしていたんだ。

東京から「頑張ってください」なんて言えない。
もちろん、「一緒に頑張りましょう」なんて、とてもおこがましくて言えない。
適切な言葉なんてきっとないんだ。

でも、僕は何度か口にした。「がんばってください。」
言いたくなかったけど、口にした。
瞬時に他に言葉が見つからなかった。
「東京も大変でしょうが互い頑張りましょう!」って言われちゃった。




できることを少しづつ。
そう思っていました。
でも、そんなんでいいのだろうか。

そう思っても被災地を転々と回り続けることはできない。
僕はまた、日常に戻っていくのだ。


結局、小さいことでも少しづつ。
みんなが自分にできることをできる範囲でするしかない。

あれだけのものを見て、聞いて帰ってきても、
僕がすることは結局同じ。

小さいことでも少しづつ。


でも、間違いなく僕の中の何かが変わった。
それが何かはわからない。
それがこれからの僕をどう動かすのかもわからない。

だから、一度見てきたほうがいいよ、なんて言うつもりも毛頭ない。




子供たちに文房具を配ってきました。
みんなとっても喜んでくれました。

被災地それぞれの人にそれぞれの支援すべきことがあります。
そのひとつを皆さんの善意に基づいて、皆さんの力ですることができました。

本当によかったと思っています。

盛岡中央高校の川手先生をはじめとした先生方、
ソフトボール部、アイスホッケー部の皆さん、
初対面にもかかわらず、いろいろありがとうございました。
皆さんのおかげでいい活動ができました!

これからも続けます。

僕ができること、僕がみんなにお願いをしてできること。
少しづつ、ときにはたくさん。

あの街を元に戻すのは、僕にはできません。
皆さんの心の傷も癒すことはできません。

でも、きっとできることはある。
たくさんある。

だからやる。

それだけかな。


※GW中の楽しい時期に楽しくなブログですみません。
 震災後2カ月近くもたって何言ってんだいって感じですね。
 正直僕自身何が言いたくて何を伝えたいのかさっぱりわかりません。。。